誕生について
01/29/2019
葉っぱが紅葉して綺麗
誕生日でした。
僕は誕生日をお祝いされないと、不機嫌になったり怒ったり、不貞腐れたり、悲しんだり駄々をこねたりして来ました。
そして今年の誕生日はとても寂しいものでした。
もう恋人もいなくなり、お誕生日会も誰も開いてくれないので、自分で主催しようかとも思ったけれども、誘ったみんなは用事があったり、あまり乗り気ではない様子だし、僕の誕生日を祝えと他人に強制するのも、いい歳をして余りに大人気ないかとも思い、誕生日会は諦めました。
それでもHikariちゃんが来てくれる予定になっていたのだけれども、彼女もインフルエンザになってしまって、来られなくなってしまいました。
僕は誕生日にお祝いをして貰えないのがとても嫌いです。
僕は母親に、
「本当はお前のことなんか産みたくなかった」
と言われて育ちました。
日常的に言われていたわけではないけれど、母親は僕を怒ると時々そう言いました。
そう言われた時、子供だった僕の目からはいつもたくさんの涙が流れて、余りに大粒な涙なので、それは床にパタパタと音を立てて落ちました。
母親はまた、怒った時に、
「私はおまえのことが大切だから怒っているんだよ、お腹を痛めて産んだおまえが憎いわけないでしょ?」
とか言う場合もあったけれども、本当は産みたくなかったと言われ、日常的に可愛がられていなかった僕としては、それは単なる欺瞞にしか感じられなくて、このパターンの時は心底白々しい気持ちになったのをよく覚えています。
また、僕が母親にプレゼントをねだると、
「パパにお願いしなさい。ママの稼いだお金も同じ口座にはいっているのだから、パパに買って貰ってもママに半分買って貰ったのと同じなのだから」
と母親はいつも言いました。
彼女は、
「自分が直接的に何かプレゼントをして息子を喜ばせてあげよう」
という気持の一切無い人でした。
母親は万事がそんな調子で、僕の気持を一切汲み取ってくれない人でした。
僕の幼少期は、僕の喜ぶ姿に興味のない母親から愛情をせがむ、長い長い時間の連続でした。
僕は泣かない子供だったけれども、母親の、
「本当はお前のことは産みたくなかった」
という言葉を反芻する時、僕はいつも床にパタパタと涙を落としながら泣きました。
だからなのか、僕は、誕生日に、この世に生まれて来たことをみんなに祝福されたいのです。