原罪
2017年12月12日
食べた後のアボカドの種を植えたもの
一昨日、横浜での撮影を終えて電車で帰っていると、日暮れ時で、いつものように憂鬱になった。
twitterでそのことを呟くと、お友達のマリカさんから、急遽、中村うさぎさんのトークショーに誘われて、僕は誘いに乗った。
トークショーは面白く、色々な話が聞けたのだけど、その中で鳥飼茜さんの『先生の白い嘘』という漫画の名前が出た。
僕はそれを今日、読み終えた。
パッと感想を言うとすれば「人間として生きている罪」「男として生きている罪」とどう向き合って行くのか、というテーマに感じた。
「女として生きている罪」に関しては、これは僕が男だからなのか、あまり感じなかったというか、むしろ「男から植え付けられた罪」として描かれているように感じた。
「男として生きている罪」に関しては、物語のテーマを引っ張っていく男がレイプの常習犯で、非常に暴力的に描かれているから、彼に対する直接的な共感などは僕には無かった。
けれども、写真家として活動している人間として、すごく感じるものはあった。
というのは、僕は、女性と
交わした愛情や恋愛の様子など、非常に個人的な関係を写真の作品としている場合が多く、それは無論、相手の人生を良くも悪くも侵食する行為であると思うから。
どこからが僕の作品であり人生であり、どこからが被写体の人生であるのか、僕はいつもその点に悩んでいる。
更には、表現者の僕と関わることで侵食される女性の人生がある反面、単なる一人の男としての僕と関わりたいかも知れない女性の人生があり、更にはその侵食度合いや侵食の意味合いが、時間軸や人間関係、取り巻く環境などによって目まぐるしく変わったりもする。
だから僕の作品が、いずれ相手の後悔に繋がったりする場合もある訳で、僕にはそれがとても辛く、悲しく、大変に苦しい。
僕が写真家として生きている上で抱えている原罪は、そういう類のものです。