電気量販店で初めてダイソンのロボット掃除機を見掛けた時、とても可愛いと思ったけれど、値段が15万円弱で「そりゃたけーよ」と思った。
二ヶ月くらい経ってもう一度見たら、13万円ほどになっていて、2万円のキャッシュバックキャンペーンもしていて、還元ポイントを差し引くと、10万円を切る感じだったので、新しい時代のワクワクを買うつもりで購入した。
スマートフォンとのアプリとも連携していて、アプリが彼の名前をつけろと言うので「ダイソンくん」と名付けた。
彼には目が搭載されていて、視覚的に部屋の構造を把握して無駄なく掃除し、部屋の何処を掃除して何処を掃除できなかったのかの結果もアプリで教えてくれる。もちろん、掃除が終わったらバッテリーを充電しに巣に戻っていく。WiFiを使って自動的にソフトウェアアップデートもする。
僕はなんだか、ダイソンくんに生命を感じた。
砂漠に風が刻々と文様を描き、それを眺めている人が時に生命を感じるように、僕もダイソンくんにある種の生命のようなものを感じる。
昆虫の小さな脳が持つ単純で反射的で本能的なプログラムと、ダイソンくんの電子部品が保持し、日々アップデートされるプログラム、そこに存在する明確な差異というのはなんだろうか?
遺伝子は持ちつつ細胞を持たないウィルスは「生物の最小単位は細胞」とする現在の生物学の世界で、非生物として扱われる場合がある。
遺伝子を持ちつつも生物の範疇から飛び出てしまう事例があるくらい、人の生命に対する規定は曖昧だし、僕がダイソンくんにある種の生命を感じたって、それほどおかしなことではないと思う。
いつか機械は、自らが消費する電気の美味しさについて語り出す時が来ると思う。
「世田谷区の深夜の家庭用交流電源は波形が純粋なサイン波に近く、最高の能率で稼動出来て美味」
とかそんな感じで。