心の風景
2014年1月18日土曜日
いまだに横倒しになったままのビルが放置されていた
新年を迎えて間もなく、僕は二年九ヶ月振りに女川町を訪れた。
一回目に訪れたのは東日本大震災の丁度一ヶ月後だった。
当時の僕は映像やイベントなどの制作会社に勤めていて、
「エンターテイメントが被災地の役に立つ事は出来ないか?」
と物資輸送のボランティアを手伝いつつ、会社の社長と同僚とで石巻市を訪れていた。
そして物資を届けた先で、
「女川町の津波被害は本当に酷い、見ておいた方がいい」
と被災地の方に言っていただき案内していただき、
「下手をしたら冷やかしの野次馬だと思われかねないぞ」
と僕はヒヤヒヤとしながら女川町へと向かった。
「女川町の津波被害は本当に酷い、見ておいた方がいい」
と被災地の方に言っていただき案内していただき、
「下手をしたら冷やかしの野次馬だと思われかねないぞ」
と僕はヒヤヒヤとしながら女川町へと向かった。
女川町の被害は本当に酷かった。
驚くべき崖の高さに車が引っ掛かっていた。
街中が炎のない爆弾で無茶苦茶にされたかのようだった。
僕の心は傷付いた。
結局のところ勤めていた会社は非常に繁忙となり、会社としては被災地の為に何をする事も出来なかった。
けれども僕はあの時あの光景をみて傷付いた心を持っている。
僕にとって被災地の傷は多少なりとも僕の心の傷ともなり、被災地の復興は僕の心の癒えることと同義になったとも感じる。
だから三年近くが経ってもさして復興の進んでいない被災地をこの目で見て、僕はとてもとても哀しくなった。
多くの人に被災地の傷を自分のものとして欲しいと願った。