エロスとエログロ
2011年10月4日火曜日
夜のお散歩の余興で
ヌードなんかを撮ったり発表したりしていると、時々、困ったことが起こる。
僕の撮ったヌードを観てくれた大概の人は、それをエロスだと思ってくれる。
けれども公共的にはエログロとされる場合もあり、発表の場が限られたりもする。
だけどそれに文句を言いたいわけじゃない。
無理矢理な線引きは事実を変にねじ曲げることもあるから。
日本のアダルトビデオの、
「性器はいけないけれども肛門ならいくら映しても何してもいいよ!!」
という不思議な基準も、無理に線を引いたからだと思う。
「性器はいけないけれども肛門ならいくら映しても何してもいいよ!!」
という不思議な基準も、無理に線を引いたからだと思う。
僕が今回お話したいのは、僕にとってもエロスとエログロの判断基準について。
僕が自分の撮った写真がどちらに属するかの判断は、シャッターを押した時の僕の心の中身が、
「成熟した肉体の伴わなかった子供の頃の憧れに満ちているか」
だと経験的に感じている。
まだ具体的な性から離れていた頃から、僕は女の人が好きだったし、その匂いや柔らかさに憧れていた。
白く丸い、お月様のような胸やお尻が大好きだった。
そして大人になったいま、エロスは、僕を無垢だった子供の頃へと引き戻し、僕を育てなおしてくれる人生の鍵になっている。