中学校の時の同級生と遊んだ。
僕は高校に進むと、中学校の時の同級生たちとは殆ど関わらなかったし、その後のみんなの動向もほぼ知らない。
だから改めて同級生から聞くみんなのその後の物語は、断片的な話でも、非常に興味深かった。
すっかり忘れていた名前や顔も思い出した。
それに中学生の僕は、夜中の三時とかに学校に忍び込み、桜の花見をしたりしていたそうで、そんなこと自分ではすっかり忘れていたけれど、確かに夜中に学校の門だか柵だかを乗り越えた、夢で見たかのような不確かな記憶が蘇って来たりもして、なんとも不思議な気持になった。
僕は高校に進むと、中学校の時の同級生たちとは殆ど関わらなかったし、その後のみんなの動向もほぼ知らない。
だから改めて同級生から聞くみんなのその後の物語は、断片的な話でも、非常に興味深かった。
すっかり忘れていた名前や顔も思い出した。
それに中学生の僕は、夜中の三時とかに学校に忍び込み、桜の花見をしたりしていたそうで、そんなこと自分ではすっかり忘れていたけれど、確かに夜中に学校の門だか柵だかを乗り越えた、夢で見たかのような不確かな記憶が蘇って来たりもして、なんとも不思議な気持になった。
体育会的な狭い考えが支配する学校の中で、自分の力でコントロール出来るのは成績くらいなもので、僕は反逆的で反体制的な不遜な受験生だった。
中学生の僕は何にも満足していなかったし、何もかもが不満でハングリーだったし、いつもイライラとして世界を壊してやりたいと思っていた。
あの頃、そばには亀のアランがいて、今もそばに亀のアランがいて、アランは何も変わらないように見えて、僕だけが二十年の年月を経たのかのように思えて、アランに餌をあげていると、僕は人生に流れる時間の不可思議な流れを感じたりする。