広島くん
2014年8月23日土曜日
この写真は広島くんではなく高校二年生の僕、適当な写真が無かったので
中学の時の同級生と、18年振りくらいに連絡を取り合って、お酒を飲んで来た。
翌日がなんと同級生Nくんの結婚式だそうで、その為に上京して来たHくんと、18年振りに連絡を取り合ったTくんと、それと僕との三人で飲んだ。
彼らから色々と衝撃的な話を聞いたので、そのうちの3つを紹介しようと思う。
その1。
僕とHくんが中学生当時大きな喧嘩をした事があった。
僕は授業中に隣の女の子からハサミを借りて、前に座っているHくんの後ろ髪をチョキンと一房、切った。
Hくんは振り返って自分のされたことを理解すると、怒りまくって僕の机を蹴りあげたりと暴れた。
担任の先生が、
「おい、H、授業中だぞ、すわれ」
と慌てる風でも怒鳴る風でもなく、でも鋭い感じで一声掛けて、Hくんは怒りを抑えて席に座った。
僕はこの時の、Hくんの髪を切った事は覚えていたのだけれども、何故そんな事をしたのかは全く覚えていなかった。
今回、その原因を彼から聞いた。
「あれは俺が悪かったんだよ」
と彼は言った。
話を擦り合せていくうち、段々と記憶がよみがえって来た。
まず、僕らは倫理や道徳の授業の一環として、体育館で盲目で知的障害のある少年のピアノ演奏を聴いた。
その後、教室に戻って来た僕らだけれど、Hくんは僕に、
「あのピアノ演奏は子供っぽくてくだらない」
ということを言った。
僕はそこで、彼にもの凄い勢いで罵声を浴びせたのだそうだ。
僕は当時、とても刺々していたので、きっと相当きつい事を言ったのだろうと思う。
Hくんに浴びせた罵声は彼曰く彼の許容範囲を超え、やり場のない気持ちになった彼は僕の髪に掴み掛かったらしい。
Hくんの髪を一房切ったのはその次の授業でのことで、掴み掛かられた報復だった訳だ。
その2。
その後、Hくんとはそんなこともあったせいでギクシャクとし、Hくんにとっても僕との次の思い出はもう卒業も間近になった頃のことになる。
僕らの担任の先生は、僕らの卒業に合わせてめでたく結婚する事になった。
僕ら生徒は先生に何かをプレゼントしようということになり。
翌日がなんと同級生Nくんの結婚式だそうで、その為に上京して来たHくんと、18年振りに連絡を取り合ったTくんと、それと僕との三人で飲んだ。
彼らから色々と衝撃的な話を聞いたので、そのうちの3つを紹介しようと思う。
その1。
僕とHくんが中学生当時大きな喧嘩をした事があった。
僕は授業中に隣の女の子からハサミを借りて、前に座っているHくんの後ろ髪をチョキンと一房、切った。
Hくんは振り返って自分のされたことを理解すると、怒りまくって僕の机を蹴りあげたりと暴れた。
担任の先生が、
「おい、H、授業中だぞ、すわれ」
と慌てる風でも怒鳴る風でもなく、でも鋭い感じで一声掛けて、Hくんは怒りを抑えて席に座った。
僕はこの時の、Hくんの髪を切った事は覚えていたのだけれども、何故そんな事をしたのかは全く覚えていなかった。
今回、その原因を彼から聞いた。
「あれは俺が悪かったんだよ」
と彼は言った。
話を擦り合せていくうち、段々と記憶がよみがえって来た。
まず、僕らは倫理や道徳の授業の一環として、体育館で盲目で知的障害のある少年のピアノ演奏を聴いた。
その後、教室に戻って来た僕らだけれど、Hくんは僕に、
「あのピアノ演奏は子供っぽくてくだらない」
ということを言った。
僕はそこで、彼にもの凄い勢いで罵声を浴びせたのだそうだ。
僕は当時、とても刺々していたので、きっと相当きつい事を言ったのだろうと思う。
Hくんに浴びせた罵声は彼曰く彼の許容範囲を超え、やり場のない気持ちになった彼は僕の髪に掴み掛かったらしい。
Hくんの髪を一房切ったのはその次の授業でのことで、掴み掛かられた報復だった訳だ。
その2。
その後、Hくんとはそんなこともあったせいでギクシャクとし、Hくんにとっても僕との次の思い出はもう卒業も間近になった頃のことになる。
僕らの担任の先生は、僕らの卒業に合わせてめでたく結婚する事になった。
僕ら生徒は先生に何かをプレゼントしようということになり。
カセットテープにひとりひとりメッセージを吹き込んで渡す事になり、その実務担当がHくんだった。
僕はここから全く覚えていなかったことをHくんから聞かされて、記憶喪失者が記憶を取り戻していくような不思議な気持を味わう事になる。
僕はHくんに、
「恥ずかしいから時間を改めてくれ」
と言ってまだ誰も来る前の朝早い時間に彼を呼び出し、なんとギターを弾きながらボソボソと歌ったらしい。
はっきりいってそんな記憶はもう全くなかったので、自分がそんなことをしていたなんて本当に驚いたけれども、じっくり思い出してみると、その時の光景もジンワリと思い浮かんでくる。
本当にあったのか定かでないような記憶が蘇って来る生温さは、まるで血液の湿り気のようだと感じた。
その3。
「広島くんはどうしてる?」
と僕が尋ねた時の彼らの顔は、何とも言えない呆然とした顔だった。
「あれ?おんなじクラスじゃなかったっけ?一年生の時に僕だけ一緒だったんだっけ?」
僕が追って尋ねると、
「広島くんはね、もうこの世にはいないんだよ」
とHくんが言った。
広島くんは6年前の冬、サーフィンに出て波にさらわれてしまった。
翌日、防波堤に打ち上げられているところを発見された。
僕はここから全く覚えていなかったことをHくんから聞かされて、記憶喪失者が記憶を取り戻していくような不思議な気持を味わう事になる。
僕はHくんに、
「恥ずかしいから時間を改めてくれ」
と言ってまだ誰も来る前の朝早い時間に彼を呼び出し、なんとギターを弾きながらボソボソと歌ったらしい。
はっきりいってそんな記憶はもう全くなかったので、自分がそんなことをしていたなんて本当に驚いたけれども、じっくり思い出してみると、その時の光景もジンワリと思い浮かんでくる。
本当にあったのか定かでないような記憶が蘇って来る生温さは、まるで血液の湿り気のようだと感じた。
その3。
「広島くんはどうしてる?」
と僕が尋ねた時の彼らの顔は、何とも言えない呆然とした顔だった。
「あれ?おんなじクラスじゃなかったっけ?一年生の時に僕だけ一緒だったんだっけ?」
僕が追って尋ねると、
「広島くんはね、もうこの世にはいないんだよ」
とHくんが言った。
広島くんは6年前の冬、サーフィンに出て波にさらわれてしまった。
翌日、防波堤に打ち上げられているところを発見された。
外傷はなく綺麗なままだったらしい。
近くで折れたボードも発見されたとのことだ。
広島くんとは小学校の時から同じクラスになる事が多かった。
近所の公園で一緒にサッカーをしたり、一緒に自転車で出掛けたりもした。
中学に入ってからは彼は持ち前の明るさと努力で、スポーツも勉強もとても優秀にこなした。
学級委員だったりしたし、マラソン大会があれば一位だった。
純朴さが滲み出すように、誰にでも同じ態度で接したし、人の悪口も言わなければ苛めに加担する事もなかった。
驚異的な純真さを持ち、明るく前向きでブレる事が無かった。
広島くんは僕のひとつの象徴だった。
広島くんの明るさは僕に未来への力を感じさせたし、それは僕にはないもので、広島くんは密かな憧れであり尊敬の対象だった。
僕は今まで、
「彼の疑わない心が自分にあればどれだけいいだろう」
と幾度思ったことだろうか?
僕は平和や愛を自分の中に思い描く時、広島くんのイメージを思い起こす事さえある。
広島くん、ありがとう。
近くで折れたボードも発見されたとのことだ。
広島くんとは小学校の時から同じクラスになる事が多かった。
近所の公園で一緒にサッカーをしたり、一緒に自転車で出掛けたりもした。
中学に入ってからは彼は持ち前の明るさと努力で、スポーツも勉強もとても優秀にこなした。
学級委員だったりしたし、マラソン大会があれば一位だった。
純朴さが滲み出すように、誰にでも同じ態度で接したし、人の悪口も言わなければ苛めに加担する事もなかった。
驚異的な純真さを持ち、明るく前向きでブレる事が無かった。
広島くんは僕のひとつの象徴だった。
広島くんの明るさは僕に未来への力を感じさせたし、それは僕にはないもので、広島くんは密かな憧れであり尊敬の対象だった。
僕は今まで、
「彼の疑わない心が自分にあればどれだけいいだろう」
と幾度思ったことだろうか?
僕は平和や愛を自分の中に思い描く時、広島くんのイメージを思い起こす事さえある。
広島くん、ありがとう。
どうか安らかに。