僕のキッカケ
2011年9月19日月曜日
彼女が僕に写真は何かを教えてくれた
僕は中学時代、高校時代、運動もしなかったし社交的ではなかったし、暗く偏屈で、要するに女の子に相手にされるようなタイプではなかった。
けれども思春期のゲイでない男の子としては、当然、女の子のことを好きになる。
僕はフラれてばかりいた。
僕の鬱屈した暗い心は、
「せめてその姿だけでも僕のものに...」
と妄執に捕われて、高校一年生の頃、初めての一眼レフカメラを持ち歩くようになった。
ここで、
「せめて彼女の下着だけでも僕のものに...」
とかの妄執に捕われていたら軽犯罪者一直線だったと思うし、カメラを持っていても盗撮とかいう方向には向かわなかった。
「せめて彼女の下着だけでも僕のものに...」
とかの妄執に捕われていたら軽犯罪者一直線だったと思うし、カメラを持っていても盗撮とかいう方向には向かわなかった。
僕は恥ずかしがり屋の内気な少年で、結局は好きな女の子にカメラを向けられず、彼女らの写真はほとんど撮れなかった。
僕は好きな女の子を撮りたかっただけだから、ファッション写真や広告写真なんてものには全く興味がなかったし、ライティングなんてものにも興味がなかった。
「あんな作り物の写真には魂がない」
と思っていたし、今でも半分くらい思っているかも知れない。
写真学科のある大学に行ったけれども写真学科には行かなかった。
ライティングやファッション写真の面白さは、ひょんなことでベテランカメラマンさんのアシスタントをやって知った。
けれども僕はいまでも、大好きな女の子が笑ってくれれば、それで全てがいいような気がしている。