美しく生命を感じる手段
2013年9月10日火曜日
この睡蓮鉢は¥13,800もしたよ
まだ清掃業者も入っていないというのに、まず真っ先に睡蓮鉢を新居へ持ち込んだ。
それは植物という生命が、僕の引っ越し予定に成長を合わせてはくれないからだ。
環境さえ整えてあげれば、信じられない変貌を遂げるのが植物で、逆に言えば環境を人為的に整えてあげなければ、鉢という小さな世界の中で植物は枯れてしまう。
それは植物という生命が、僕の引っ越し予定に成長を合わせてはくれないからだ。
環境さえ整えてあげれば、信じられない変貌を遂げるのが植物で、逆に言えば環境を人為的に整えてあげなければ、鉢という小さな世界の中で植物は枯れてしまう。
しっかりと手入れをして面倒をみてあげれば、神秘を身近に感じさせてくれるという、そうした生命の対等な関係が植木にはあり、また所有したらそれまでのコレクションとは違い、生きている植物は生命の尊厳を感じさせてくれる。
この睡蓮鉢の中には、葉や根っこの出始めた蓮の種が三つ入っている。
今は濁って泥水のようだけれども、入れた粘土質の土は静かに沈んで、上の澄んだ水にはメダカを飼うつもりだ。
花が咲くとしたら来年の事だろうけれども、僕にはこの翡翠色の鉢から葉っぱがニョキニョキと伸び、何処か涅槃を感じさせる神秘的な花の咲く様が、今から目に浮かぶようだ。
この睡蓮鉢の中には、葉や根っこの出始めた蓮の種が三つ入っている。
今は濁って泥水のようだけれども、入れた粘土質の土は静かに沈んで、上の澄んだ水にはメダカを飼うつもりだ。
花が咲くとしたら来年の事だろうけれども、僕にはこの翡翠色の鉢から葉っぱがニョキニョキと伸び、何処か涅槃を感じさせる神秘的な花の咲く様が、今から目に浮かぶようだ。