目線
2013年3月12日火曜日
これはデモ更新と国会前抗議行動の合間の夕暮れ
僕はこの写真の中の、彼女の表情がとても好きだ。
よく見るとカメラ目線だけれども、彼女はニコリともせず、遥か遠くを見ているかのようだ。
朴訥とした幼い子のようにも見えるし、どっしりとした母親のようにも見える。
カメラを意識しなくなった瞬間、カメラとの関係性ではなく、僕との関係性や、周りの環境、さらに自分の気分、ふとした思考、そうした色々なものが表情から放たれる。
この写真での彼女は、デモ行進の後だから、ちょっと疲れているようでもあり、深刻な現状を噛み締めているようでもあり、段々寒くなって来た風を心配しているようでもある。
僕はストロボなんかを使って、スタジオワークで人を撮るのが好きでない。
そこには輝かしい表面しか写っていない心地がする。
スナップ写真は人生の一部分を切り取る行為だ。
自分の人生から美しい瞬間を掘り起こす行為だ。
彼女は僕の人生の中で美しい人になった。
よく見るとカメラ目線だけれども、彼女はニコリともせず、遥か遠くを見ているかのようだ。
朴訥とした幼い子のようにも見えるし、どっしりとした母親のようにも見える。
カメラを意識しなくなった瞬間、カメラとの関係性ではなく、僕との関係性や、周りの環境、さらに自分の気分、ふとした思考、そうした色々なものが表情から放たれる。
この写真での彼女は、デモ行進の後だから、ちょっと疲れているようでもあり、深刻な現状を噛み締めているようでもあり、段々寒くなって来た風を心配しているようでもある。
僕はストロボなんかを使って、スタジオワークで人を撮るのが好きでない。
そこには輝かしい表面しか写っていない心地がする。
スナップ写真は人生の一部分を切り取る行為だ。
自分の人生から美しい瞬間を掘り起こす行為だ。
彼女は僕の人生の中で美しい人になった。