Poko's Blog

幻の湖と雄琴と売春

2017年1月24日

『幻の湖』の主人公もここを走っていた


僕の好きな映画に『幻の湖』というものがある。
 
この映画は鳴り物入りの東宝創立50周年記念映画として、日本映画界が誇る大脚本家、橋本忍が、製作、原作、脚本、監督を勤め、スポ根スパイSF恋愛動物時代劇サスペンス映画とも言える混沌とした二時間半の大作で、特に前半などは、後半に怒涛のように拾っていく数多の伏線がひたすら敷き詰められていく展開に、一体自分が今なんの映画を観ているのか判然としない状況にまで追い込まれたりする怪作で、公開から二週間と五日で打ち切られた上に、2003年のDVD化までビデオ化さえされなかったという、まさに幻の映画なのです。
 
大学生の時に親友と観て衝撃を受け、幾度となく観た覚えがある。
 
今年になって急にまた観たくなって、調べたけれどもブルーレイにはなっておらず、仕方なくDVDを購入し、恋人と友人と三人で観た。
 
前半は集中力を切らしていた二人も、クライマックスに向かうに従って引き込まれ、熱心に観ていた。
 
そして、突然思いつきと勢いで、友人と聖地巡礼に行こうということになり、今回、二人で旅に出たのである。
 
平日の夜行バスで行って着いたその日の夜行バスで帰って来る旅。
 
往復の交通費は4,200円。
 
滋賀県は、朝着いたら大雪だった。
 
僕らは第一の目的地「石仏」へ、無理とわかりつつ、自分達を納得させるために出発した。
 
友人は新雪の厚く積もった雪原をブーツで掻き分けて進んで行くので、僕は恐ろしくなって、
「ここに道なんかないよ!」
と言うと、彼女はiPhoneを片手に
「マップによるとここに道はあるよ」
と言った。
 
「池もそばにあるみたいだし、川とかに落ちたら死んじゃうし、下に何があるかわからないから辞めよう」
と僕は迂回を提案した。
 
そしてどうにか琵琶湖畔まで行った。
 
僕は濡れた犬のように凍える友人の素晴らしく美しい写真を撮った。
 
僕らはそこからひとまず引き返し、その他の聖地巡礼も大方諦めた。
 
ただ、雄琴のソープ街はどうしても観たかったので、向かった。
 
雄琴に着く頃には陽も出て来て、友人は光に輝きながら降って来る雪を、
「すごく綺麗でずっと覚えておきたい」
といって来夢中で見上げていた。
 
朝早く人気の少ないソープ街を僕らはウロウロとして、映画のロケで使われたソープランドも発見した。
 
三十数年前の映画の中で描かれていた風景が、それほど大して変わらずに残っていて、それを確かめに東京から滋賀県に来た僕らは、ぼんやりと感動をした。
 
僕らはソープ街の横にある雪原となった田んぼを時間潰しに歩いて、真新しく積もった雪の上に、鳥の足跡やら、何かの動物が捕まえた獲物を引きずった跡などを見つけて、それを辿ってみたりした。
 
人が全然いなかったので、僕は友達に、
「パンツみせて」
と言ったら、
「いいよ!」
と彼女は凄くいい笑顔でスカートを捲ってくれた。
 
僕は慌てて写真を撮ったけれども、慌てたので露出が高過ぎになってしまったので、
「もう一回」
と頼んだけれど、彼女はもうスカートを捲ってはくれなかった。
 
それから僕らはソープ街の横にある健康ランドで温泉に入りご飯を食べ昼寝をし、またお温泉に入って、夜になるのを待った。
 
僕らは灯のともった夜のソープ街をウロウロとした。
 
雄琴のソープ嬢がどうなのかはわからないけど、いま日本では、貧しさからセックスワーカーになる人が多いと聞くし、現実に僕のまわりにもそうした女性はたくさんいるし、今までもたくさん出会って来た。
 
僕が小さな頃は、風俗嬢というのはブランド品が欲しかったり贅沢がしたかったり、大金が欲しくてしているものという印象があったけれども、そうした女性の溢れる社会のほうが、貧しくて風俗嬢にならざるを得ない女性が溢れる社会であるよりも、はるかに健全だったんじゃないか、幸せだったんじゃないか、と僕は感じた。
 
帰りの夜行バスで、カーテンの隙間から差す高速道路の光が勢い良く流れていく中、友達の手を握りながら、狭い座席で寄り添っていると、宇宙船に二人きりで乗っているような心地がした。